使用者賠償と雇用慣行賠償の違いとは?身体障害と雇用トラブルの補償を切り分ける

「労災事故で従業員から賠償を求められた」「ハラスメントや不当解雇で訴えられた」——従業員を雇うすべての企業で起こり得るこの二つは、同じ「従業員側から会社への損害賠償請求」に見えても、備える保険が違います。結論を先に言えば、業務上の身体障害(ケガ・病気・死亡)に起因する賠償は使用者賠償責任補償、ハラスメント・不当解雇・差別など雇用上の不当行為に起因する賠償は雇用慣行賠償責任補償(EPL)が対応します。分かれ目は請求してきた人の肩書きではなく、損害の原因と請求の内容です。自社で起きた事故・紛争がどちらの補償に当たるかは、このあとの切り分けで判断できます。まずは損害の原因で二つを分け、そのうえで自社の証券・約款・規程・記録と照合してください。

この記事で分かること

  • 使用者賠償と雇用慣行賠償の違いを、原因となる損害から切り分ける考え方
  • それぞれが対象になるケースと、対象になりにくい境界
  • 賠償請求ベース・遡及日・通知・事前承認など、加入時と事故時に証券・約款で確認すべき条件

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先に結論|身体障害の賠償は使用者賠償、雇用トラブルの賠償は雇用慣行賠償

使用者賠償責任補償は、業務上の事由で従業員が身体障害(ケガ・病気・死亡)を負い、会社が法律上の損害賠償責任を負担する場合に、賠償金などを対象とする補償です。これに対し雇用慣行賠償責任補償(EPL)は、ハラスメント・不当解雇・差別など雇用上の不当行為をめぐって会社が負う賠償に対応します。どちらも「会社が従業員側から賠償を求められたとき」に備える点は同じですが、その請求が身体のケガに由来するのか、雇用上の取扱いに由来するのかで、確認すべき特約が変わります。

迷ったときは、事案の呼び名で決めず、「損害の原因は身体障害か、それとも雇用上の不当行為か」「請求されている中身は治療・後遺障害・逸失利益なのか、解雇や配置の是正・慰謝料なのか」を先に分けてください。同じ従業員からの一通の請求でも、原因ごとに対応する補償が分かれることがあります。次の比較表で二つの補償を軸ごとに並べ、続けてそれぞれの対象ケースと境界、両方がまたがる場面の整理へと進みます。

使用者賠償と雇用慣行賠償の違いを比較

確認する軸使用者賠償責任補償雇用慣行賠償責任補償(EPL)
請求の原因業務上の身体障害(ケガ・病気・死亡)雇用上の不当行為
典型的な事由安全配慮義務違反による労災事故ハラスメント・不当解雇・差別・不当な評価
主な請求者被災した従業員・遺族従業員・就労希望者・元従業員
主な損害・費用政府労災給付を超える損害賠償金・争訟費用損害賠償金・争訟費用・弁護士費用等
政府労災との関係労災給付を超える「賠償」を補完労災の枠外(身体障害以外の事由)
保険事故のトリガー商品により発生ベース/賠償請求ベース賠償請求ベース(クレームズメイド)が多い
付帯の形態業務災害補償保険等の特約が中心業務災害補償保険等の特約が中心
確認する資料証券・特約、事故報告、安全衛生規程証券・特約、相談記録、就業規則・ハラスメント規程

比較表は、上から順にたどると切り分けが進みます。まず一番上の「請求の原因」で、身体障害なら使用者賠償側、雇用上の不当行為なら雇用慣行賠償側へ寄せます。次に「主な請求者」で範囲を確認します。使用者賠償は被災した従業員・遺族が中心ですが、雇用慣行賠償は在職者だけでなく就労希望者や元従業員まで広がり得ます。そして「保険事故のトリガー」に注意してください。雇用慣行賠償は「請求を受けた時」を基準にする賠償請求ベースが多く、加入や更新のタイミングが補償の有無を左右します。この比較は、最終的に自社の証券・特約で確認する前提の見取り図として使ってください。

使用者賠償が対象になるケース|業務上の身体障害と法律上の賠償責任

使用者賠償責任補償は、業務上のケガ・病気・死亡について、会社が法律上の損害賠償責任を負ったときの賠償金などを対象とします。ここを理解するには、政府労災・法定外補償・使用者賠償の三つの役割を分けて考える必要があります。政府労災(労働者災害補償保険)は、被災した労働者本人への法定給付を行う制度で、慰謝料や、給付を超える損害の賠償までは行いません(出典:厚生労働省「労災補償」)。法定外補償(労災上乗せの給付)を付けても、それは死亡・後遺障害の等級に応じた定額給付の上乗せであって、会社が負う損害賠償責任そのものを肩代わりするものではありません。逸失利益・慰謝料・将来介護費といった実損の賠償額に対応するのが使用者賠償です。三者は算定の考え方が別で、重ねて初めて「給付+上乗せ給付+賠償」がそろいます。政府労災と民間保険の役割分担は「政府労災とは?業務災害補償保険との違いを保険代理店が解説」でも整理しています。

会社が賠償責任を問われる法的な土台になるのが、労働契約法第5条の安全配慮義務です。使用者は労働者の生命・身体等の安全を確保するよう配慮すべきとされ、長時間労働や安全管理の不備が原因で重い後遺障害・死亡に至ると、この義務違反を理由に高額な賠償が求められることがあります。事故の規模感として、厚生労働省「令和7年の労働災害発生状況」では、死亡者数は700人で過去最少となった一方、休業4日以上の死傷者数は135,333人にのぼりました(出典:厚生労働省「令和7年の労働災害発生状況」)。重篤事故が減っても、賠償に発展し得る事故そのものの件数は大きいことを示す数字です。ただし件数がそのまま賠償責任の成立を意味するわけではありません。

支払いの前提となる境界も押さえておきましょう。事故が起きたことだけで使用者賠償が支払われるわけではありません。あくまで会社に法律上の損害賠償責任が成立して初めて対象になる補償です。契約関係、指揮監督、事故原因、予見・回避の可能性などの個別事実を確認した結果、賠償責任が認められない場合は、使用者賠償の対象にはなりません。そのため、被災した人が保険証券・特約上の補償対象者に含まれるか、事故場所・業務内容が対象業務に含まれるかも併せて確認が要ります。会社に賠償責任がない事故について、会社が自主的に払う見舞金や治療費などは、この使用者賠償とは別の給付・費用補償で見る領域であり、どこまでを対象にするかは商品ごとに設定が異なります。事故と保険事故該当を同一視せず、証券・約款で対象者と対象費用を確かめてください。

雇用慣行賠償が対象になるケース|ハラスメント・不当解雇・差別

雇用慣行賠償責任補償(EPL)は、雇用上の不当行為をめぐって会社が損害賠償責任を負った場合などに備える補償です。対象となる不当行為には、各種ハラスメント(セクハラ・パワハラ・マタハラ等)、不当解雇、差別的行為、人格権侵害、不当な評価、報復的行為などが含まれるのが一般的です(対象範囲は商品・約款により異なります)。これらは身体のケガとは無関係の事由であり、政府労災でも、施設賠償・請負業者賠償といった一般の賠償責任保険でも通常はカバーされません。だからこそ、雇用慣行賠償で正面から備える意味があります。

請求してくる人の範囲が広いのも特徴です。現在の従業員だけでなく、採用選考中の就労希望者や退職した元従業員からの請求も対象になり得ます。雇用の入口(採用差別・内定取消)から出口(解雇・退職勧奨)まで、幅広い段階でリスクが生じます。対象者にパート・アルバイト・契約社員・派遣先で指揮命令下にある労働者まで含めるかは商品・特約で差が出るため、自社の雇用形態に照らして範囲を確認しておく必要があります。補償される費用は、法律上の損害賠償金のほか、争訟費用・応訴費用・弁護士費用などが一般的で、商品によっては紛争対応のコンサルティング費用が含まれる場合もあります。雇用トラブルは、最終的に会社の主張が認められても防御のための費用は現実に発生する「勝っても費用は出ていく」性質があり、賠償金だけでなく防御費用まで見ておく実益があります。

頻度の面では、厚生労働省「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」で、民事上の個別労働紛争相談のうち「いじめ・嫌がらせ」は55,614件にのぼりました(背景として総合労働相談件数は1,198,010件)。(出典:厚生労働省「令和7年度個別労働紛争解決制度の施行状況」)。規模を問わずどの企業でも雇用上の紛争が起こり得ることを示す数字です。ただし、ここでの相談件数は行政への相談の数であって、そのまま会社への損害賠償請求の件数を意味するものではありません。あくまで、身体障害の賠償とは別の頻出領域が存在することを示す背景値として読んでください。

賠償請求ベース(クレームズメイド)・遡及日・既知事由という落とし穴

雇用慣行賠償で特に注意したいのが、補償のトリガーが「事故の発生時」ではなく「損害賠償請求を受けた時」で設計されることが多い点です。これを賠償請求ベース(クレームズメイド)と呼びます。この方式では、保険期間中に受けた賠償請求が対象になる一方、契約前にすでに起きていた事案や、加入時点で予見していた紛争は、遡及日(レトロアクティブデート)や既知事由の除外により対象外となるのが通例です。つまり「トラブルが表面化してから慌てて入る」では手遅れになりやすく、加入のタイミングそのものが補償の有無を左右します。さらに、保険を切り替えたり更新したりする際に遡及日が後ろへずれると、過去の潜在事案が補償の谷間に落ちることもあります。こうした構造は約款を読み込まないと気づきにくいため、遡及日と既知事由の扱いは加入・更新の前に証券・約款で必ず確認してください(具体的な適用は商品・約款によります)。

一つの事案で両方が関係するときは損害と請求を分ける

実務でいちばん判断に迷うのが、身体障害と雇用上の不当行為が一つの事案に併存する場面です。たとえば、長時間労働やパワハラを背景にメンタル不調となり、労災認定を求める動きと、その原因とされたハラスメントについての損害賠償請求が同時に進む——といった重なり方です。このとき、事案を「ハラスメント事案」「メンタル不調事案」と一つの呼び名でまとめてしまうと、どちらの補償がどこまで対応するかが見えなくなります。

身体障害・雇用上の不当行為・賠償金・防御費用という損害と請求の中身ごとに分けて、それぞれの該当性を確認します。身体障害に係る賠償の部分は使用者賠償側、雇用上の不当行為に係る賠償の部分は雇用慣行賠償側、というように、一つの事案の中でも対応する特約が分かれ得ます。時系列を混ぜず、損害の内訳ごとに切り分けると、どちらか一方しか備えていない場合に「片側の穴」が残ることにも気づけます。両方が関係し得る事案では、どの損害をどの特約で見るのかを、証券・特約に照らして早い段階で整理しておくことが大切です。

加入・更新時に証券と社内資料を照合する

使用者賠償・雇用慣行賠償は、単独の保険というより、業務災害補償保険(労働災害総合保険)の特約として付帯する形が一般的です。法定外補償を土台に、自社のリスクに応じて二つの賠償補償を組み合わせて設計します。業務災害補償の全体像は「業務災害総合保険とは何かを保険代理店が解説」で確認できます。加入・更新の前には、次の資料を手元にそろえて突き合わせておくと、重複・不足の点検から限度額・免責の設計まで具体的に進められます。

  • 現在の保険証券(付保内容が分かるもの)
  • 約款・特約(対象者・対象費用・トリガー・遡及日の定め)
  • 就業規則・懲戒規程
  • ハラスメント規程・相談窓口の運用資料
  • 安全衛生規程・安全教育の記録
  • 過去の紛争・労務相談の記録、従業員数と雇用形態の構成

このリストを突き合わせたこと自体が、補償を保証するものではありません。実際の突合では、次の点が商品・契約で変わります。支払限度額は「1請求あたり」と「保険期間中の総額」で別に定められることが多く、複数の請求が連続すると総額枠を先に使い切ることがあります。対象者の範囲(パート・契約社員・元従業員まで含めるか等)や、免責金額の設定によっても実質的な守りが変わります。また、賠償責任保険は「入っていれば自動で払われる」ものではありません。被保険者である会社側が、事故や不当行為の発生・損害の内容と金額・因果関係・発生時期・免責事由に当たらないことを、記録に基づいて説明できて初めて支払いにつながります。とりわけ雇用トラブルは「言った・言わない」になりやすく、相談受付記録・聞き取りメモ・処分の決裁といった一次資料の有無で結論が変わります。どの資料でどの条件が変わるのかは、下の表で確認できます。

確認の軸使用者賠償で見る資料雇用慣行賠償(EPL)で見る資料
事実関係事故報告書、労災手続、作業手順書相談受付記録、聞き取りメモ、経過記録
体制・規程安全教育記録、安全衛生規程就業規則、ハラスメント規程、懲戒規程
意思決定作業指示、勤怠、診断書評価記録、処分・配置転換・解雇の決裁
手続条件事故通知、事前承認、支出の証憑請求受領の記録、通知期限、弁護士選任・示談の事前承認

この表は、証券・特約とあわせて確認する社内資料の対応関係を示すものです。とくに右下の手続条件——通知期限、弁護士選任や示談の事前承認——は、外すと支払判断に影響する場合があるため、加入時に自社の事情へ当てはめて確認しておく価値があります。

事故・相談を受けたら事実記録と保険通知を並行する

労災事故とハラスメント相談が重なる場面では、事案名でひとくくりにせず、身体損害・労務管理・賠償請求・防御費用を分けて整理することが重要です。初動で残した記録が、そのまま保険金請求時に会社側が説明するための材料になります。後で説明できる形で残すことを意識して、次の手順を並行させてください。

  1. 事故か相談か、または両方かを分けて受付記録を作る。
  2. 労災書類・勤怠と、相談メモ・聞き取りを別に保存し、証拠を保全する。
  3. 就業規則・安全衛生規程・ハラスメント規程の該当箇所を確認する。
  4. 保険会社へ通知し、弁護士選任や示談の事前承認の要否を確認する。
  5. 再発防止策を決め、管理職への共有まで記録に残す。

この5手順は、労災/労務/法務/保険通知の各手続を時系列で混ぜないための並行段取りです。特に、被害を訴える申告を受けた段階を「請求」として扱うかどうかは商品で差があり、通知期限や事前承認の条件を外すと支払判断に影響する場合があります。判断に迷うときは、自己判断で対応を進める前に代理店・保険会社へ確認するのが安全です。

よくある質問

使用者賠償と雇用慣行賠償は片方だけ加入できますか、両方必要ですか?

単独可否や付帯条件は商品により異なり、多くは業務災害補償保険(労働災害総合保険)の特約として付帯します。両者は請求の原因が異なる別々の補償で、身体障害の賠償と雇用上の不当行為の賠償のどちらのリスクを抱えるかは業種・人員構成で変わります。自社にどちらが必要か、あるいは両方かは、証券・特約と雇用形態の構成を照らして確認してください。

D&O(会社役員賠償)保険とはどう違いますか?

D&O保険は、役員個人が経営判断等をめぐって株主・第三者等から責任を追及された場合に備えるもので、雇用慣行賠償が対象とする「会社の雇用上の不当行為」とは、対象も請求者も異なります。もっとも、ハラスメント事案で会社と役員個人の双方が訴えられるように実務では両者がまたがる場面もあり、どちらの保険でどこまで受けるかは証券で整理が必要です。

パワハラでうつ病になった事案はどちらの補償で見ますか?

一つの事案名で決めず、損害と請求の中身で分けて確認します。うつ病という身体障害に係る賠償の部分は使用者賠償側、パワハラという雇用上の不当行為に係る賠償の部分は雇用慣行賠償側というように、同じ事案でも対応する特約が分かれ得ます。どこまでが各特約の対象かは約款・特約により異なるため、損害の内訳ごとに証券で確認してください。

元従業員や採用に至らなかった応募者からの請求は雇用慣行賠償の対象ですか?

雇用慣行賠償では、現在の従業員のほか、就労希望者(応募者)や元従業員からの請求も対象になり得ます。ただし対象者の範囲は商品・約款により異なり、パート・契約社員・派遣先での指揮命令下の労働者を含めるかも差が出るため、自社の雇用形態に照らして特約で確認が必要です。

遡及日より前に起きたハラスメントは補償されますか?

雇用慣行賠償は賠償請求ベース(クレームズメイド)で設計されることが多く、遡及日より前の事由や、加入時点で予見していた既知の紛争は対象外となるのが通例です。加入や切替のタイミングで補償の谷間が生じないよう、遡及日と既知事由の扱いを事前に約款で確認してください。

示談や弁護士選任を会社が先に決めても保険金は出ますか?

請求を受けたときの通知期限や、弁護士選任・示談についての事前承認は、条件を外すと支払判断に影響する場合があります。多くの商品で事前承認が求められるため、自己判断で示談や弁護士選任を進める前に、証券・約款の定めと、代理店・保険会社への通知の要否を確認してください。

雇用関係の賠償リスクは、身体障害と雇用上の不当行為という二系統に分かれます。政府労災や法定外補償だけでは埋まらないこの二つを、原因ごとに使用者賠償・雇用慣行賠償のどちらで見るのかを切り分け、さらに賠償請求ベース・遡及日・通知・事前承認という条件まで押さえて初めて、会社を守る備えが働きます。自社に必要な補償設計は業種・規模・雇用形態で異なります。重複・不足の点検から限度額・免責・対象者の設計まで、具体的にご相談いただけます。何がどこにあるか整理できていない段階から、お話をうかがいながら一緒に整理していきます。

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参考一次情報・公的資料

情報確認日:2026年7月13日

執筆:中村 祐太朗(那由他保険テクノロジーズ株式会社 Risk & Benefits事業 執行役員/損害保険・生命保険募集人)|編集:那由他保険テクノロジーズ株式会社 編集部|最終更新日:2026年7月13日

本記事は一般的な情報提供を目的としています。補償内容、引受可否、保険料、保険金の支払可否は、商品、約款、契約条件および個別事情により異なります。法務・税務・労務・会計の判断は、必要に応じて各分野の専門家へご確認ください。