ハラスメントに保険で備える中小企業の点検術|誰の訴えまで補償されるか確認する

ハラスメントの賠償リスクは、社内の従業員からの訴えだけとは限りません。取引先の担当者、採用候補者、出向・派遣で関わる人、顧客など、自社の役員や従業員が業務で接するあらゆる相手が「被害を訴える側」になり得ます。そして誰が訴えるかによって、保険で補償されるかどうかは大きく変わります。

この記事では、商品名からではなく「誰が被害を訴えるか」を起点に、自社のハラスメント賠償リスクを点検します。第三者からのハラスメントが自動的に補償されるとは限らないことを踏まえ、証券・約款を具体的な事故シナリオと照合しながら、どこまでを自己負担し、どこからを保険に移すかを判断できるように整理します。

Summaryこの記事のポイント

  • 商品名ではなく「誰が被害を訴えるか」を起点に、証券・約款を事故シナリオと照合して点検する。
  • 取引先・顧客・採用候補者など第三者からの訴えが自動的に補償されるとは限らず、扱いは商品・特約ごとに異なる。
  • 請求者、被保険者、対象費用、請求ベース、遡及日、既知事由、通知、事前承認などを証券から転記し、補償の空白を洗い出す。
  • 保険は防止義務・被害者救済・事実調査・労務判断を代替しない。
  • 自社のリスクと財務耐性に応じて、自己保有と保険移転の優先順位を判断する。

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「誰の訴えまで想定するか」から点検を始める

ハラスメントの賠償リスクを考えるとき、多くの経営者はまず「社内のパワハラ・セクハラ」を思い浮かべます。しかし実務では、訴えの向きはもっと多方向です。

  • 在職中の従業員・役員から、評価・配置・懲戒・言動をめぐる訴え
  • 退職者・元役員から、退職の経緯やハラスメントを理由とした訴え
  • 採用候補者・内定者・インターン参加者から、選考過程や内定取消をめぐる訴え
  • 取引先・委託先・下請先の担当者から、自社役員・従業員の言動をめぐる訴え
  • 顧客・施設利用者など、その他の個人からの訴え

保険の世界では、これらを大きく「従業員等(自社の内部関係者)」と「社外の第三者」に分けて扱います。日本損害保険協会の一般的な説明では、雇用慣行に関する補償は従業員等からの請求を対象とするものとして紹介されています。一方、社外の第三者へのハラスメントを補償対象に含めるか、採用応募者・派遣や出向で働く人・退職者等をどう定義するかは商品や特約によって異なります。だからこそ、点検の出発点は「自社の場合、誰の訴えまで想定すべきか」を洗い出すことになります。

保険は防止義務・被害者救済・事実調査・労務判断を代替しない

最初に前提を明確にします。保険は、賠償金や争訟費用といった「お金」のリスクを移すための道具であって、企業が果たすべき次のことを肩代わりするものではありません。

  • 防止措置義務:相談窓口の設置、方針の周知・啓発、就業規則等での明確化。
  • 被害者の救済・配慮:被害申告への迅速な対応、二次被害の防止、配置転換等の配慮。
  • 事実調査:中立的なヒアリング、証拠の保全、事実認定。
  • 労務判断:行為者への懲戒・指導、再発防止策の実行。

職場のパワーハラスメント防止のための雇用管理上の措置は、事業主の義務として中小企業にも2022年4月1日から適用されています。さらに2025年6月11日公布の改正法により、カスタマーハラスメントと求職者等に対するセクシュアルハラスメントの防止措置が、2026年10月1日から事業主の義務となります。保険に入っても、これらの義務がなくなるわけではありません。むしろ、防止・初動体制を整えたうえで、なお残る金銭リスクを保険に移す、という順序が実務的です。

なぜ中小企業で「判断」が必要なのか

ハラスメント相談は社会全体で高止まりしています。厚生労働省の個別労働紛争解決制度の状況では、総合労働相談件数は1,198,010件で18年連続100万件超、民事上の個別労働関係紛争における「いじめ・嫌がらせ」の相談は55,614件で14年連続最多となっています。

なお、2022年4月の改正労働施策総合推進法の全面施行後、同法上の職場のパワーハラスメント相談はこの「民事上の個別労働紛争(いじめ・嫌がらせ)」に計上されません。この数字はハラスメント全体の総数ではなく、傾向を示す背景情報として扱ってください。

一方、備えの普及はこれからです。日本損害保険協会の「中小企業におけるリスク意識・対策実態調査2025」では、回答者全体1,050人のうち雇用慣行賠償責任保険・特約への加入回答は7.2%でした(この数値は調査条件付きの参考値で、市場全体の正確な普及率や必要加入率を示すものではありません)。

中小企業では、人事・法務の専任者が少なく、一件のトラブル対応で経営者や幹部の時間が大きく奪われがちです。だからこそ「全社一律で入るべき/不要」と決めるのではなく、自社のリスクと財務耐性に応じて優先度を判断することが重要になります。

商品名ではなく「4つの問い」で確認する

雇用慣行賠償責任保険(EPL)は背景にある代表的な商品ですが、点検は商品名からではなく、次の4つの問いから始めると漏れが減ります。

  1. 誰が被害を訴えるか(請求者・被害申告者)
  2. 誰の行為が原因か(行為者)
  3. 誰が賠償請求を受けるか(被保険者:会社・役員・従業員・子会社など)
  4. どの費用を移転したいか(賠償金・争訟費用・初期相談費用など)

この4つを証券・約款に当てはめると、同じ「ハラスメント補償」でも会社ごとに空白の位置が違うことが見えてきます。以下、順に見ていきます。

請求者・被害申告者を区分する

まず「誰が訴えるか」を区分し、それぞれが約款上の補償対象者または第三者に含まれるかを確認します。肩書きだけで補償可否を判断しないことが大切です。

請求者・被害申告者の区分確認のポイント
在職中の従業員・役員・派遣/出向者従業員からの請求は損保協会の一般説明に含まれる。役員、派遣・出向者等が約款上の「補償対象者」に該当するかは要確認。
退職者・元役員退職後一定期間の請求まで対象か、条件付きか。
採用応募者・内定者・インターン参加者採用選考段階の請求を含む例があるが、商品差が大きい。
取引先・委託先・下請先の担当者第三者ハラスメントとして扱われるか、対象外か。
顧客・施設利用者・その他の個人第三者への言動が対象か。カスハラ(顧客から自社への被害)とは向きが逆である点に注意。

顧客等から自社の従業員が受けるカスタマーハラスメントへの備えは向きが逆の論点です。こちらはカスタマーハラスメント対策と保険の境界で整理しています。

被保険者を区分する

次に「誰が請求を受けるか」を区分します。会社が補償されても、行為者個人や子会社まで自動的に補償されるとは限りません。

  • 会社(法人)
  • 役員
  • 管理職・一般従業員(行為者本人を含むか)
  • 子会社
  • 派遣・出向者、下請負人等

特に、行為者本人がどこまで被保険者に含まれるかは重要です。会社の使用者責任や防御費用と、行為者個人の補償可否は分けて考える必要があります。故意・犯罪行為等に関する免責の内容、認定時点、会社と行為者個人の扱いは約款によって異なるため、一律に決めつけず個別に確認します。

対象行為・損害・手続と主な境界

3つ目・4つ目の問い(誰の行為か/どの費用か)は、対象となる行為・損害・手続と、その境界(対象外)をあわせて確認します。

対象行為(例)

ハラスメント、差別的行為、不当解雇・雇止め、不当な評価・配置、報復、第三者ハラスメント、名誉毀損など。

対象損害・費用(例)

法律上の損害賠償金、争訟費用、弁護士相談費用、応訴費用、和解金など。それぞれの定義と、支払いに事前承認が必要かを確認します。ある商品では、損害賠償請求を受ける前でも、社外労組・弁護士・社労士・労働局等から申立てを受けた段階で、所定条件のもと弁護士へ相談した費用を補償する例があります(事前同意・国内限定等の条件付き)。

主な境界(対象外・条件付きになりやすい項目)

  • 故意・犯罪行為等(免責の内容・認定時点、会社と行為者個人の扱いを確認)
  • 既知事由(契約前にすでに把握していた事案)
  • 法令・労働協約・就業規則に基づく賃金・残業代・退職金等
  • 罰金・過料
  • 身体障害(労災・使用者賠償の領域)
  • 海外での行為・請求
  • 契約前の行為、通知の遅れ、無断の弁護士選任・和解

EPLは「請求ベース(クレームメイド)」の契約例があります。保険期間中に最初の損害賠償請求がなされたか、遡及日はいつか、更新前後の通知条件はどうかを必ず確認してください。身体障害に対する使用者賠償との切り分けは使用者賠償と雇用慣行賠償の違いを、EPLそのものの基本は雇用慣行賠償責任保険とはをご参照ください。

ステークホルダー別の補償確認表

ここまでの区分を一枚に集約します。自社の証券・約款を読みながら、各欄が「対象/条件付き/対象外」のどれかを書き込んでいくと、空白(=リスクの残り)が見えます。

請求者約款上の区分被保険者対象行為・費用地域請求ベース・遡及日既知事由通知・事前承認免責金額・支払限度額
在職・退職の従業員・役員( )( )( )( )( )( )( )( )
採用候補者・内定者・インターン( )( )( )( )( )( )( )( )
派遣・出向者( )( )( )( )( )( )( )( )
取引先・委託先・下請先の担当者( )( )( )( )( )( )( )( )
顧客・その他の個人( )( )( )( )( )( )( )( )

各セルには、証券・約款から「対象/条件付き/対象外」の別、条件、根拠となる条項番号を転記します。空欄や対象外の欄が直ちに加入不足を意味するわけではありません。想定損失を自社で負担できるか、他の契約と重複していないかまで確認し、残すリスクと保険へ移すリスクを決めます。

優先度が上がる中小企業の場面

次のような特徴がある企業は、ハラスメント賠償リスクの優先度が上がります。

  • 人事・法務の専任者が少なく、一件の対応で経営者や幹部の時間が大きく奪われる。
  • 営業・店舗・医療/介護・建設・物流・派遣・IT受託など、従業員が社外の個人と継続的に接する。
  • 採用活動・インターン・業務委託・出向・グループ会社間の人材交流が多い。
  • 管理職や創業者の裁量が大きく、評価・配置・懲戒・取引先対応が属人化している。
  • 過去に相談・申立て・退職トラブル・SNS告発・労組/弁護士/労働局からの連絡があった。
  • 現預金だけでは、長期の弁護士対応・和解・賠償を吸収しにくい。

逆に言えば、これらに当てはまらない企業まで一律に加入を急ぐ必要はありません。リスクの大きさと財務耐性のバランスで判断します。

自社で進める6つの判断手順

  1. ステークホルダー地図を作る:自社の役員・従業員が業務で接する個人(従業員・退職者・候補者・取引先・顧客等)を列挙する。
  2. 事故シナリオを作る:誰のどの言動により、誰から、会社・役員・従業員の誰へ請求され得るかを具体的に書く。
  3. 既契約を確認する:業務災害保険、EPL特約、D&O、賠償責任保険、弁護士費用保険等の証券・約款を並べる。
  4. 補償表へ転記する:請求者/被保険者/対象行為/対象損害/地域/請求ベース/遡及日/既知事由/通知/事前承認/免責金額/支払限度額。
  5. 自己保有と保険移転を決める:少額の初動費用は自己負担し、経営を揺らす争訟費用・賠償金等をどこまで移すか決める。
  6. 導入後も予防・初動を運用する:方針周知、相談窓口、調査手順、被害者配慮、行為者への措置、再発防止、証拠保全、保険会社への早期通知。

よくある質問(FAQ)

ハラスメントの申立てを受けた後でも、保険に入れば今回の件を補償できますか。

すでに申立てを受けた事案が、新しく加入する契約で当然に補償されると期待すべきではありません。既知事由、告知、初年度契約、遡及条件等により結論が変わります。今回の事案をどの契約で扱うべきかは、事実関係を伝えたうえで保険会社へ確認してください。

取引先の担当者からのパワハラ被害の訴えも対象ですか。

「第三者ハラスメント」として対象になる商品もありますが、自動的に含まれるとは限りません。対象者の範囲・条件・地域・費用を約款で確認する必要があります。

会社だけでなく、役員や従業員個人も補償されますか。

被保険者の範囲によります。会社が補償されても行為者個人や子会社まで自動的に含まれるとは限りません。故意・犯罪行為等に関する免責の内容、認定時点、会社と行為者個人の扱いも約款で確認してください。

パワハラ防止措置を整えていれば、保険は不要ですか。

防止措置は法律上の義務であり、保険はその代替ではありません。措置を整えてもなお残る賠償金・争訟費用等の金銭リスクを移すかどうかが保険の論点です。

弁護士へ相談した段階の費用も対象ですか。

損害賠償請求前の相談費用を、所定条件のもと補償する商品例があります。ただし事前同意や地域の限定など条件があり、無断の相談・選任は対象外になり得ます。

使用者賠償責任保険やD&O保険との違いは何ですか。

使用者賠償は主に業務上の身体障害、D&Oは役員の経営判断に関する賠償を対象とします。雇用上の不当行為・ハラスメントはEPLの領域で、切り分けはこちらの記事で解説しています。

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那由他保険テクノロジーズによる請求者範囲と補償条件の照合支援

どこから点検すればよいか決まっていない段階でも、相談を始められます。気になっている事案や、役員・従業員が接する社外関係者との接点をうかがいながら、既契約の補償が誰の訴えまで及ぶかは相談のなかで一緒に確認していきます。

那由他保険テクノロジーズ株式会社では、既契約の証券・約款について、請求者の範囲、被保険者、対象行為・費用、免責、請求ベース、遡及日、通知・事前承認を事故シナリオと照合します。従業員等と第三者からの請求に対する補償の重複・不足を整理し、自己保有と保険移転の優先順位、維持・追加を検討する条件を比較できる形にします。

法的責任や労務措置は弁護士・社会保険労務士、正式な引受条件は保険会社、個別事故の支払可否は事故状況と約款に基づく確認となります。

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参考一次情報・公的資料

情報確認日:2026年8月1日

執筆:中村 祐太朗(那由他保険テクノロジーズ株式会社 Risk & Benefits事業 執行役員/損害保険・生命保険募集人)|編集:那由他保険テクノロジーズ株式会社 編集部|最終更新日:2026年8月1日

本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の保険商品への加入を推奨・保証するものではありません。補償の可否・範囲は各保険会社の商品・約款・引受条件により異なり、個別事故の支払可否は実際の事故状況と約款に基づき判断されます。法的責任や労務上の措置については弁護士・社会保険労務士等の専門家に、正式な補償内容については保険会社にご確認ください。記載の制度・法令・統計は情報確認日時点のものです。